「小早川 隆景」

当山に「小早川隆景(こばやかわ たかかげ)」の供養塔がある…


何かの活字になってる古文書に「般若寺に隆景の供養塔あり」と書いたのを見たことがある…が忘れた


がしかし、般若寺にお参りに来られているようだ…


小早川隆景の般若寺参詣  『陰徳太平記』より


『陰徳太平記』第二九巻「伊賀地(いかち)の高山寺(こうせんじ)の岳(だけ)落城の事」の項、毛利元就周防の国に進撃し小早川隆景ら、玖珂、伊陸に兵を進めた時の記述に般若寺がでてくる。


 「・・・・・・隆景ハ由宇ヨリ上ノ関迄舟漕廻シ、近郷ノ一揆並ビニ大嶋ノ桑原等ガ人質取堅メ、既ニ帰ラントシ給所ニ、折節北風頻リニ吹キケレバ、伊保ノ庄ト云フ所ニ少時船ヲ駐メラル、其ワタリ、西北ノ間ニ当ツテ白雲カカリ、青松茂シテ高ク天ニ倚レル峯有ツテ、本間ヨリ甍ノ見エケレバ、イカナル所ニヤト問ハセ給ヒケルニ、アレハ般若寺ト申ス寺ニテ候。昔用明天皇筑紫ノ摩野ノ長者ガ娘ト契ヲコメサセ給ヒ、皇女一人儲ケ給ヒシガ、天皇ハ帝都ヘ帰ラセ給ヒテ後、長者ノ娘並に三歳ニ成ラセ給フ皇女ヲ都ヘ迎ヘサセ給ヒケルニ、アレナル鳴門ノ海門ニテ御船覆リ、皇女浪ニ溺レテ失セ給ヒ候、御門深ク嘆カセ給ヒテ、山作リニ課セテ、アノ峯ニ御陵ヲ築カセ給ヒ、観世音ヲ本尊トシテ一宇ノ伽藍ヲ建立シ、般若寺ト云フ額ヲ親ラ宸翰テ染メラレ候、所コソ多キニ、


彼ノ山上ニ建立遊バサレ候ヒツル事ハ、永世鳴門ノ迫門(セト)ヲ越エン船ノ、乗ルベキ塩路ヲ知ランシメンタメニ、アノ峯ニ寺ヲ立テラレ、彼ノ寺ニ船ノ舳先ヲ向ケ、右楫左楫少シモ偏ラズシテ乗リ候ヘバ、海中ニ在ル所ノ太鼓岩、没体ナドイヘル巌ニ船ノ砕カルル事モナク、盤渦逆浪ニモ覆ラズシテ安穏ニ通ル事ニテ候、


アノ寺即チ鳴門ヲ越エン船ノ水標(ミオツクシ)トナシテ、


末世ノ人ヲ助ケ給ハントノ御恵、何ボウ有リ難キ御事ニ候、門前ナル仁王殊ニ勝レテ利生深シトテ、衆生ノ渇仰他ニ異ニ候、・・・・・・・ヤガテ自ラ般若寺ヘ参詣シ給ヒケリ」


この文中に般若寺が「大畠鳴門」の「燈台」だった事がわかる…


合掌


#小早川隆景 #陰徳太平記 #燈台の神山

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