About Hannya-ji

​神峰山 般若寺について

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  • 名称:神峰山 用明院 般若寺

  • 宗派:真言宗御室派

  • 御本尊:聖観音菩薩・延命地蔵菩薩

  • 開山・創建:慧慈和尚(聖徳太子の師匠)/用明天皇勅願 用明元年(586)

  • ​本山:総本山仁和寺

  • 代表的寺宝:用明天皇念持仏・勅額・三光石・『満野長者旧記三巻』・般若姫像・梵鐘等

  • ​霊場:中国観音特別霊場・西瀬戸極楽三観音霊場・周防観音霊場第六番

住所:742-1104 山口県熊毛郡平生町宇佐木1166

Tel:0820(56)3636  Fax:0820(56)3749

般若寺は山口県平生町、海抜250メートルの山にあります。

般若寺は今から1400年前、大畠の瀬戸の荒ぶる金龍神(荒波)を鎮めるために海に身を投じ、自らの命を捧げた般若姫を弔うため、夫である用明天皇の勅願により建立されました。

開山は聖徳太子の師匠、高句麗の僧侶「慧慈和尚(えじわじょう)」。現住職で90代目となります。

有史以来、瀬戸内海は我が国の最重要航路でした。

瀬戸内海の西の入口である“大畠瀬戸”は、阿波の大鳴門「龍宮東門」に対して「龍宮西門」と呼ばれました。人々は一日に二度ずつ起こる潮の干満による潮流を「龍」と恐れました。

またこの潮の流れ流を船の推進力にもした古代の人は、いかにこの海域を無事に通過するかに心を配りました。無事に通れるとされたのは、般若姫が葬られた観音堂の小山と、瀬戸に浮かぶ「幣振島(へぶりじま)」を結んだ直線状の航路のみだったと伝えられています。

そのような由縁もあり、般若寺はこの大畠瀬戸を航行する船が無事に超える為の「燈台」としての役割を果たし、神体山として崇められてまいりました。


毎年大晦日から三月の節句まで、海底深くにある「龍宮(海底約82メートル)」より般若姫のご神霊である火の玉「龍燈」が、般若姫ゆかりの地に飛来すると伝えられています。その龍燈は、安芸の国厳島弥山からも見えたと伝えられています。

そして地球と月による宇宙の息づかいである潮の干満の流れは、「龍宮西門」を背にして建てられた仁王門の「ア・ウン」の呼吸に当てはめられ、龍が仏の息吹の如く穏やかであるようにとの祈りで建立され、今でも瀬戸の西の入口を守っておられます。

姫の命を奪ったとされる「金龍神」も、以来、瀬戸の干満に合わせて水位が変化する当山の「龍神池」に住み、般若姫を守り、穏やかに龍宮を出入りしておられると伝えられています。

ご参拝の皆さまも、導きのお山におられる般若姫さまの化身「観音さま」の前に自らの「苦しみ」をおろし、本来誰もが持つ「仏ごころ」に気づき、少しでも心穏やかな日々をお送り頂けますようお祈り申し上げます。

History

​般若寺の歴史

  567年(欽明28年)

  586年(用明元年)

  594年(推古2年)

  596年(推古4年)

  625年(推古33年)

​1343年(康永2年)

1437年(永享9年)

​1486年(文明18年)

1665年(寛文5年)

1696年(元禄9年)

1709年(宝永6年)

1719年(享保4年)

1835年(天保6年)

1859年(安政6年)

1868年(慶応4年)

​1872年(明治5年)

般若姫19歳で逝去

神峰山般若寺建立

大畠瀬戸に大魚出現、黄金仏出現

玉絵姫に金の仏像を送る

満野長者逝去 117歳

「志度寺縁起」に般若寺の名

延命地蔵菩薩の修理彩色を施す

文明年中までは寺領七千石
「陰徳太平記」に般若姫伝説​

​中興六十八世教仙和尚入山、数十年大破し無住を復興

萩 享徳寺第六世 雲外龍峰大和尚墓誌を刻む

観音堂前の灯籠建立、参道石仏建立

般若寺大火災

観音堂、三十三観音霊場造立

観音堂再建願い

​明治元年神仏分離令発令

​八十世徳雄和尚 寂                 

※マップをクリックすると境内案内ページへ

Map

​境内案内図

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