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伝 恵慈 和尚
山口・般若寺は、用明天皇元年(五八六)、
橘豊日皇子(即位前の用明天皇)の妃で、
大畠の瀬戸の荒波を鎮めるために海に身を投じた
般若姫の供養として、用明天皇の勅願により、慧慈が
開基したと伝える。慧慈像の古例は、法隆寺聖霊院
本尊聖徳太子像の従者像を数えるのみであり、
ゆかりの当地に慧慈の古像が伝来することは地域の
信仰史上においても重要である。
【参考文献】
・三田覚之
『神峰山用明院 般若寺 伝恵慈坐像 調査報告書』(未刊行)
二〇二一年
ようこそ 般若寺へ
「神峰山 用明院 般若寺」は、海抜250メートルの山の上に建立されています。
「なぜこんな山の上にお寺を建てたのか…」
「昔の人は一体を何を観たのだろうか…」
「もっと麓にあればどれだけ楽だったろうか…」住職の私がずっと山で感じてきたことです。
近年、この場所「神峰山」にお寺が建てられた本当の理由が判明しました。
この場所でなくてはならなかったのです…。
そしてその価値観は「仏教」や「神道」という宗教を越えた「日本人の祈り」の姿そのものだった…
という結論に至りました。
このサイトを通じ、その一端に触れていただけたらと思います。そしてぜひ般若寺にお参り頂き、
古の「日本人の祈り」に触れ、「日本人の忘れもの」にお出会い頂けると幸いです。
合掌
~虚しく門に至り 満ち満ちて帰る~
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