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伝 恵慈 和尚
山口・般若寺は、用明天皇元年(五八六)、
橘豊日皇子(即位前の用明天皇)の妃で、
大畠の瀬戸の荒波を鎮めるために海に身を投じた
般若姫の供養として、用明天皇の勅願により、慧慈が
開基したと伝える。慧慈像の古例は、法隆寺聖霊院
本尊聖徳太子像の従者像を数えるのみであり、
ゆかりの当地に慧慈の古像が伝来することは地域の
信仰史上においても重要である。
【参考文献】
・三田覚之
『神峰山用明院 般若寺 伝恵慈坐像 調査報告書』(未刊行)
二〇二一年







山口・般若寺は、用明天皇元年(五八六)、
橘豊日皇子(即位前の用明天皇)の妃で、
大畠の瀬戸の荒波を鎮めるために海に身を投じた
般若姫の供養として、用明天皇の勅願により、慧慈が
開基したと伝える。慧慈像の古例は、法隆寺聖霊院
本尊聖徳太子像の従者像を数えるのみであり、
ゆかりの当地に慧慈の古像が伝来することは地域の
信仰史上においても重要である。
【参考文献】
・三田覚之
『神峰山用明院 般若寺 伝恵慈坐像 調査報告書』(未刊行)
二〇二一年
